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偏屈な祖父 [祖父母の泣ける話]









私の祖父は事故であっけなく死んだ。

亡くなってから私の嫁ぎ先に連絡が来た。

じいちゃんの曾孫が私のお腹に宿ったばかりのある日、その報告をしに里帰りし、その後自宅へ帰り着いたその日の夜のことだった。

じいちゃんは小さな町では有名な偏屈だった。

そのため幼心に恥ずかしい思いも沢山した。

職人としても腕がよいので余計に有名だった。

80才を越えても自転車で走り回り、山に入って木を切ったり、ぷいと旅行に行ったり元気なことでも有名だった。

やんちゃだった私が彼(現在は夫)を連れて実家へ遊びに帰った。

正直なところ、じいちゃんと彼を会わせたくなかった。

だって絶対に変な小言を言って相手を困らすから。

だから声もかけなかった。

帰る頃になってふと見ると、じいちゃんが彼に頭を下げている。

「よろしくおねがいします」と言ったのが聞こえた。

意外だった。

意外すぎて思考が止まった。

じいちゃんは私の結婚式に参列しなかった。

「なぜ」と問うと

「遠いところでの結婚式や披露宴に年寄りが参列して、具合が悪くなったりして式が台無しになってはいけないから」

やっぱり偏屈。とその時は少し腹が立った。

妊娠の報告の時も私たちの前に姿を出さなかった。

出かけているのかと思った。

私たちが帰ったあと、両親に妊娠の話を聞きとても喜んだそうだ。

私の実家は跡取りがいないため、もし女の子だったら・・・・・とか色々話していたそうだ。

その直後、事故にあった。


※続きは後半で。




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というより自分の不注意で大けがを負い、病院に運ばれ数時間後に亡くなった。

偏屈なじいちゃんだったけど、愛されているのはよく知っていた。

3人姉妹の中で一番贔屓されていた。

どこへ行くにも私を連れて歩き、それもまた有名だった。

お祭りの時に道ばたで会うと同居しているのになぜか1000円札を握らせてくれた。

通知票を見せると小遣いをくれた。

高校を卒業し、遠方で一人暮らしをしていた私がたまに帰るとやはりお金を握らせてくれた。

私は就職し、割と高給取りになった。

なのにじいちゃんに小遣いをあげることはなかった。

じいちゃんの宝物は私が卒業旅行のおみやげとして買った瑪瑙のネクタイだった。

そんなに高価なものではなかったのに友達に自慢しまくっていたらしい。

高齢だったからいずれは死ぬけど、予期していなかった突然の死に私はいまだに涙が枯れない。

まだ小遣いをあげていない、

グルメのじいちゃんを喜ばせるほどの高級海鮮料理をまだ食べさせていない、

国内で行ったことの無い沖縄にまだ連れていっていない、

そしてなにより、感謝の言葉をまだ言っていない。

もう10年ほど前に亡くなったじいちゃんの話なのに年を追うごとに後悔の念ばかり。





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